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さよなら・・・・・・・

先程車を手放してきました。

車を手放すこと自体は2度目なんだけどね。。。。。。。
すごい寂しかった。。。

前の時には新しい車を買うから売ったわけだけど、今回はただ手放すだけだったからかな。


なんかよくわからないけど、心にポッカリ穴があいてしまったような気持ち。




子供が巣立っていく時の親の気持ちみたい・・・・・・なんて言ったら全世界の親御さんに怒られそうですけど、たぶん似たような感じ。



たった2年しか乗っていない車を手放す時にこんなに悲しいんだったら、将来自分に子供が出来て自分の元から巣立っていく時にはどれだけ辛いんだと。。。。。
はたして俺は耐えられるのかと。たぶん泣き崩れるな。今もちょっと泣きそうだしwww




と悲しんでいたらシャツのボタンが取れました。
離れていく時はみんな離れていきますね。。。。。(ボタンは付け直したが)





寂しいついでに寂しい議題を考えてみましょう。



「脳死」は「人の死」であるのか。



最初に結論・・・・・というか俺の考えを書きましょう。

個人的には「自分の脳死」=「死」、「他人の脳死」=「?」です。
脳についてわかっていることが少ない状態で「死」を定義するのは早計ではないかとも思っています。



脳死について多少書きましょうか。


脳死という定義がなされたそもそもの発端は人工呼吸器の出現です。

人工呼吸器があれば本来止るはずの心肺機能を維持することが可能です。
しかし脳機能は停止している。これは「生きている」と言えるでしょうか?それとも「生かされている」のでしょうか?

俺は「生かされている」と思います。
人工呼吸器を外したら心停止するしね。

まぁこれがあるから今まで無理だった心臓移植が可能になったわけです。

少しずれますが、脳死には2種類あります。「全脳死」と「脳幹死」です。
「全脳死」は大脳、小脳、脳幹の3つの機能が停止した状態。「脳幹死」は脳幹が停止した状態です。
国によってどちらを採用するかが違うみたいです。ちなみに日本は「全脳死」を採用しています。



さて、話を戻します。


脳死患者の臓器摘出の際には麻酔やモルヒネを投与します。
「死んでいる人間」に対して鎮痛剤を投与するのはなぜでしょうか?

それは、脳死の人は痛みを感じるのではないかと言われているから。
というよりも麻酔とかモルヒネを打たないで摘出を行った場合、患者が痛がるようにのたうち回って手術が出来ないから。

ということらしいです。


これってどういうことなんでしょう?


勉強不足のため真偽は定かではないけど、人が動く時って必ず脳からの指令によるものだった気がする。
ということは脳死患者は「身体」だけではなくて「脳」もまだ生きているのではないのだろうか?


通常の場合では司令部としている場所が機能していないからまだ見えていない他の部分が代わりの司令部として働いているのではないだろうか・・・・・・・・とちょっとだけ思ってしまいます。



このような考えから「他人の脳死」=「?」としたわけです。



ただ、自分にとってみれば「自分」を形成していて自分が自分であるための絶対条件として「自我」があると考えています。
一度「脳死」と判断されてしまうような状態になってしまうと今まで培ってきた「自我」は消えます。
これは俺の考え方からすれば自分が自分ではなくなるということ。つまり「死」だと考えます。

よって「自分の脳死」=「死」であるという解釈に辿り着くわけです。


あなたにとって「人の死」はどういうものでしょうか?一度深く考えてみてはいかがでしょう?











では~
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